2025年6月15日放送の初耳学で桑田佳祐さんのインタビューが放送されました!
国民的ロックバンド、サザンオールスターズを牽引する桑田佳祐さんの多岐にわたる活動と、その裏側にある楽曲制作の哲学についてご紹介します。
桑田佳祐
コンサート前の緊張感
桑田さんは、ライブで舞台袖から降りて楽屋へ向かうほんの1分弱の瞬間が、「人生の中で1番幸せ」だと感じると語っています。
一方で、ステージに出る時は「ものすごく力が入ってて」「怖い」と感じるそうです。
ライブ中には、お客さんの前で「武藤敬司の真似」をするなどして、その緊張感を「いなしたりしてる」と明かしています。
「女呼んでブギ」の歌詞の一部が決っていない件
初期の楽曲「女呼んでブギ」には、実は未だに歌詞が決まっていない部分があると桑田さん自身が告白しています。
レコーディングの際も歌詞が乗らずに来てしまい、桑田さんにとって「触れて欲しくなかった部分」だったそうです。
最近では、この部分で「皆さんありがとう」と歌っているとのことです。
桑田さんは、意図せず、「何の責任感もなくっていうか思想とかないわけ」で作られたものは、かえって「強い」ものになると考えています。
「真夏の果実」の誕生秘話
1990年にリリースされた「真夏の果実」は、桑田さんが初監督を務めた映画「稲村ジェーン」の主題歌として生まれました。
映画制作当時33歳だった桑田さんは、慣れない映画作りに「舐めてた」と語っており、スタッフに嫌われているのではないか、この映画はダメかもしれないというネガティブな感情を抱えていた時期にこの曲が生まれました。
その「行き場のない感情」が、失恋の切なさを歌う歌詞とリンクし、人々の心を揺さぶる名曲となったのかもしれないとされています。
レコーディング風景の映像からは、桑田さんが歌詞に納得できないとその場で何度も変えていたことが明らかになっており、映画制作の違和感を音楽で取り戻そうとしていた様子が伺えます。
曲作りでの違和感の話
桑田さんが楽曲制作で最も気をつけていることは「違和感」だと言います。
子供の頃に聞いたビートルズのジョン・レノンの歌声(ダブルトラックでタイミングがずれていたり、違う歌詞を歌っていたりする部分)に感じた違和感が、今でも残っているそうです。
プロのスタッフが「大丈夫ですよ」と言っても、自分が感じた違和感には「ちゃんと決着つけとこう」と、スタジオに戻って修正することもあると語っています。
地元愛に基づいた曲作り
桑田さんの紡ぐ歌詞には、出身地の茅ヶ崎をはじめとする神奈川県の地名や風景が数多く登場します。
これは、桑田さん自身が「他のこと知らない」ため、昔から「地元にあるものとか地元から見えるものとか」を書くのが「それしか知識がなく、それ以外はほとんどは知ったかぶり」と述べています。
横浜の地名が登場する曲(例:LOVE AFFAIR ~秘密のデート~)もありますが、これは「うちの奥さんが横浜生まれ」であることや、マネージャーに横浜の観光ガイドブックを何冊か買ってきてもらい、そこから歌詞の題材にしている部分もあるそうです。
実際に「自慢じゃないですけど現地に行ってから曲を作ることはほとんどない」と、歌詞を作ってから現地に行った経験の方が多いと明かしつつも、生まれ育った茅ヶ崎の風景が曲作りに色濃く反映されており、それが「気楽な真実」であると語っています。
初耳学の感想を即興曲に
番組の最後に、桑田さんは「初耳学」の感想を即興で曲にして歌ってほしいという無茶ぶりを受けました。
47年間音楽活動をしてきて「そういう要望を受けたこと」は一度もないと困惑しつつも、快く引き受け、その場でギターを手にメロディと歌詞をつけました。
その即興曲の歌詞は、「素敵なお花に囲まれて 会いたかった先生とお話できて こんな幸せな番組を ありがとう ただこんな失礼な No No No ムチャぶりを されたこと ない ない Now it’s time 今でしょ」というものでした。
この出来事を通して、桑田さんは「求められる限り歌い続ける」という自身の姿勢を改めて示しました。
まとめ
このインタビューは、桑田佳祐さんの音楽活動の裏側や人柄を深く知ることができる内容でした。
ステージ前の緊張と幸せの対比や、未完成のままの楽曲に対する思いなど、桑田さんの素直な言葉が印象的ですね。
「違和感」を大切にする姿勢や、地元・茅ヶ崎への愛着も伝わってきます。
即興曲のシーンでは、遊び心とプロ意識の両方を感じさせ、どんな場面でも真剣に音楽と向き合う姿が浮かびました。